Jan 2

ガビン

で地図って何?

年末年始と、芸術論議みたいなものを聞く機会があって、なにやらもやもやした。
議論を追うのは嫌いではないというか、むしろ好きというか大好物というかパン派ゴハン派かと聞かれればもちろん醤油派!と応えてしまうほど議論が好きなのである。ギロチンに似てるしね。

しかし芸術に関する議論を聞くとなんだかケツの穴がムズムズと開いたり閉じたりしてしまう。これって痔? それとも恋かしら? ともいぶかしんだが、たぶんちがう。それは芸術に関する議論ってとかく立ち位置があいまいになりがちだよなーと思うのだ。で、立ち位置というか、それがどーゆー類の議論なのかわからんと、たいがいの議論は意味がない。いや、そんなことないか。どんな形であれ、それが最先端のことについて焦点があってれば、楽しいのかもしれない。んが、んが、芸術に関してはそもそもその最先端って部分が、わりとないがしろにされがちだったりすんなーと思っている。

めんどくさい話になってきたので、ちょっと違う角度からいってみよう。
例えば、mixiのコミュなどでギロンがよく起こりますよね。
環境やら歴史やらのコミュを思い浮かべてもらったらよいかも。
が、たいがいの場合、意味のないものになりがち。
なぜなら、「その件については学問的に決着ついてますよ」って話題が、あいまいな知識と思いこみでもって話されていることがままあるからであります。
でも、それでいーじゃん? という気もしますよね。
だってmixiのコミュは学会じゃなねーんだよ!という見方もできますから。ここは井戸端会議の場ですよ? と言うこともできるでしょう。ソース、ソースって言うなよーて。
だけど、同時に、開かれた場所でのギロンでもあるわけです。パブリックな場所でのギロンのようにも思えるわけです。そー思っちゃうと、すでに結論出てる問題を、思いこみでぐだぐだ言うんじゃねえ〜、というそういうことになりますな。

僕は、どっちでもいいけれど。

でー、芸術に関するギロンですが、これね、なんかほら「好きなもんは好き」とかが通っちゃうところがありますでしょう。現代美術とかわけわかんねーしバカみたい、とかいう人とか。被差別ジャンルつーか。
つまり、最先端が(本来確かにあるのだけど)、世間的には共有されてないようなとこあります。
物理学の最先端について、「意味わかんねー、あたまでっかち!」とかは言わないけれど、芸術に関しては言ったりすんだよな。芸術だって、知れば知るほど面白いし、深く面白がれるよ。
だけど、そこ共有されてない。

あ、だからといって、それ井戸端会議でしょ? 意味ねーよ、と言いたいわけでもない。

井戸端から時代の先っちょまで、さまざまな芸術談義があると思うのだけど、そのマップは共有されてなくて、そして議論の参加者たちもそのマップを持っていないことが多いと思うんです。
なので迷子になりやすい。
迷子を見るとやっぱハラハラする。
そんでまた、自分もまた迷子によくなっとるな、とも思う。バカですいません。
簡単なんでいいから地図がほしい。あるいは地図を配ったらいいんじゃないか。それが間違っていたとしても。

この話題は、アートとデザインに関する議論の不毛さと、なのにみんながそれを語りたがる理由とか、ポップミュージックにおける進化ってなんなの? みたいなことにダイレクトにつながる話だ。

投稿者 ガビン : 02:38 | トラックバック (0)

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